ちんちんにはさまざまな隠語がある。
とくに使われがちなのは、陰部とか陰茎とか、男性のあれとか。
これらの言葉を見たときに思い浮かぶのはこれだ。
私、こういう言葉づかいをする程度には知性がありまして、という顔。
清潔なハンカチで口元を押さえながら、指の隙間からしっかりこっちを見ている感じだ。
逆にいやらしさを感じる。
「私、普段はこんなこと言わないんですけど」の枕詞が、いつだって一番いやらしい。言い換えた瞬間に、隠したいという欲がにじむ。
にじんだ時点で、もうそれはエロい。
「男性器」。もう完全に、照明を絞った部屋の匂いがする。医学の顔をして、しっかり吐息が混じっている。
「イチモツ」。上品にひとつ捻ったつもりで、捻った本人がこの世で一番いやらしいことを考えている。
丁寧に包めば包むほど、「これは隠すべきいやらしいものです」と自分から白状している。
何も後ろめたくないなら、そもそも包む必要がない。
清楚を装う語彙は、装った時点で、自分がいやらしいと認めている。
その点、ちんこはどうだ
ち、の破裂。
ん、で一度こもって、
こ、で抜ける。
三音。たった三音。隠す気ゼロ。取り繕う気ゼロ。
こいつは、一度も「私、清楚なんです」と言ったことがない。
だから、清らか。
卑しさは、言葉そのものには宿らない。
隠そうとする手つきに宿る。
上品に見せようとする欲に宿る。
「私はそちら側の人間ではありません」という、あのすました顔に宿る。
陰茎、と書く人間は、書いたその瞬間に、自分がそちら側の人間であることを一番よく知っている。
知っているから、着替えるように言い換える。着替えた時点で、裸を意識している。
ちんこは、最初から裸だ。意識するも何も、隠していない。
だから、いやらしくなりようがない。
清いとは、たぶん
飾らないこと。
取り繕わないこと。
「私、清楚なんです」と、一度も言わないこと。
陰部でも、陰茎でも、イチモツでもない。
三歳児が全裸で歌い上げる、あの三音のほうが、よっぽど澄んでいる。
——という考察を、「ちんこ」と4回打鍵しながら真顔で推敲している三十路のオトコが、いま日本のどこかにいる。
すました顔で、ちんこの清らかさについて語っている。