おい、ベッドという名の重力異常地帯に囚われし未来の俺よ、聞いているか。休日のたびに「今日は一日寝る」という、生産性の欠片もない誓いを立てては、夕方になって虚無感に襲われる。そんな君に、過去の俺からありがたいお告げを授けよう。結論から言う。休日は推しのために動け。話はそれからだ。
そもそも、俺の人生における「推し」とは何か。それは、ネオンきらめくアイドルのステージでも、二次元の麗しきキャラクターでもない。街道沿いに赤く輝く、あの聖なる館。そう、ラーメン山岡家である。
ある晴れた休日、俺はいつものようにベッドの上でスマホを眺め、人生の貴重な時間を溶かしていた。その時、脳内に天啓が舞い降りたのだ。「山岡家、行きたくない?」と。いや、行きたい。今すぐ、あの脳天を突き抜ける豚骨の香りに包まれ、しょっぱくて脂っこい至高のスープを啜りたい。
しかし、ただの山岡家ではダメなのだ。我らが山岡家は、実は店舗によって微妙に味が違うという、いわば「店舗ガチャ」が存在する。どの店舗も美味いことは間違いない。
だがしかし、牛久本店は別格にうまいという噂話は誰しもが聞いたことがあるだろう。そしてその日、俺の魂が求めたのは、牛久本店の、山岡家一の山岡家の味を確かめることだった。
気づけば俺は、部屋着を脱ぎ捨て、車のキーを握りしめていた。「思い立ったが吉日」とはよく言うが、この日の俺にとっては「思い立ったが山岡家日和」だ。衝動のままに高速を走り、茨城の地を目指す。道中、俺の心は「本当にうまいラーメンを食う」という、ただ一点の目的によって満たされていた。
そしてたどり着いた牛久本店。券売機の前でいつもの「醤油ネギラーメン、麺硬め、味濃いめ、脂多め」を唱え、カウンターで待つ数分間は、まるで祈りの時間。そして運ばれてきた一杯は、俺の魂を揺さぶった。スープを一口飲んだ瞬間、全身の細胞が「これだ!」と叫び、多幸感が脳を駆け巡る。この瞬間のために、俺は生きてきたのだとさえ思った。
一日中ベッドでゴロゴロして過ごした休日と、推しのために片道数時間をかけて行動した休日。どちらの満足度が高いかなんて、言うまでもないだろう。前者には後悔と自己嫌悪しか残らないが、後者には「やってやったぞ」という達成感と、人生が確かに前に進んだという実感がある。
だから、未来の俺よ。もし休日にベッドから動けなくなったら、この日のことを思い出せ。君の魂を震わせる「推し」はなんだ?それがあるなら、迷わず家を飛び出すんだ。その一歩が、君の人生の満足度を爆上げしてくれることを、俺が保証する。寝てる暇があったら、推しに会いに行け。マジで。