記録

スマホが手放せない、という平凡な悩みについて

中学生の俺は、布団のなかでガラケーを握りしめていた。

送信済みボックスを開くと、三時間前に送ったメールが、そこにある。何度も読み返す。読み返すたびに、「今日の体育、だるかったよな」という文面が、なんだかバカみたいに見えてくる。

あの頃は、センターに問い合わせる、というボタンがあった。
これを押すと、サーバーに届いているメールを取りに行ってくれる。押すたびに、たしか数円かかった。
俺は、それを、五分おきに押していた。

「新着メールはありません」
「新着メールはありません」
「新着メールはありません」

新着メールはないのに、パケット代だけが、確実に積み上がっていく。世界で一番むなしい課金である。

パケ死、という言葉を覚えているだろうか。

あの頃、ネットは使った分だけ金がかかった。
うっかり使いすぎると、月末に数万円の請求が来る。ひどい人は数十万。親に怒られたひとも多いだろう。

あれから二十年。

俺は今、いくら見ても定額になった画面を、一日中手放せずにいる。

スマホが手放せない。

夕方、妻とゆっくり過ごそうと思って、テーブルの端にスマホを置く。画面は伏せる。

三分後、指が伸びている。

通知を開くと、コメントが一件ついていて、「わかります」と書いてある。
ありがとうございます、と打ちかけて、やめた。
もう少し気の利いたことを返そうかと考えるために。

返信を考えているとき、妻が何か話しかけてくる。

その時はちゃんと返事をするけど、何の話だったか、あんまり思い出せない。

顔を上げる間もなくインスタに飛ぶと、昨日見つけたバッグがまた出てきた。
いいなと思って調べてみると高すぎたので、似たようなのが安く買えないか、また調べはじめる。

気づくと、十五分経っているなんてザラだ。

本当にスマホから離れたいときは、別の部屋に置く。
さすがにそこまですれば、見たくなってもわざわざ取りにはいかない。

行かないけれど、置いてきたスマホが、隣の部屋でひとりで光っている気がするし、頭のなかには、誰かとつながった世界が広がったままだ。

だから本当は、スマホを遠ざけるだけじゃ意味がない。
見たいと思う衝動そのものを、消してしまわなければ。

スマホがなかったら、何をしたいんだろう。
答えは、思ったよりシンプルだった。

優雅に過ごしたい。

読みかけの本を開いて、コーヒーが冷めるまで集中する。
仲間と、どうでもいいことで笑う。
妻と、リビングでなんにもしないまま、気づいたら夕方になる。

仕事のことも、SNSの反応も、今ここにいない誰かとのやり取りも全部消えて、目の前の人と、ものと、時間に、没頭したい。

そのために必要なのは、意識をここに留める力と、今を楽しいと思う感受性。そして、あとさき考えずに楽しめる無邪気さだ。

それ、子どものころはちゃんと持っていたはずなんだけどなぁ。

……いや、五分おきにセンターに問い合わせていた男が、無邪気だったとは、ちょっと言いがたいかもしれない。

SNSが当たり前になって、いつも誰かとつながっている世界は、便利にはなったけど、常に誰かの目を気にするようにもなった。

妻と笑っている最中に、頭の隅で「これ書いたらウケるかな」と考えている俺がいる。

ただ目の前の景色に圧倒されたいだけなのに、「この写真、インスタにあげたら反応あるかな」とスマホを取り出す俺がいる。

今ここにいない誰かの視線が、頭の中から消せなくなっている。

今思えば、五分おきに新着メールを確認していた時からこれは始まっていたのかもしれない。

そういうのをやめたいな、と考えながら、この文章も「どう思われるかな」と想像しながら書いている。
今の俺にとって優雅に過ごすという理想は、まだずいぶん遠くにあるみたいだ。

とりあえず今日は、これを投稿したら、スマホを別の部屋に置いてみようと思う。

……そして五分おきに、様子を見に行くのだろう。

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